夕帰りの子供たち 平成22年9月の日記


9月30日 slapstick
 
28、29と、じわじわ最悪に事態は近づいてきて、手は打ったがやっぱり最悪のオチがついた。
今日、明日、あるいはもっと先までひどい作業が続くだろう。まあいいや。仕方ない。

ところで朝、
警察が来た。
近所で公務員のおじさんが自殺したらしく、しばらく大騒ぎだった。
大雨の朝、自転車をこいで傘をさして学校へ行く。
私が住んでいるアパートの駐輪場は朝八時、すでにがらんとしていた。同じアパートに住む同じくらいの経済力の人々は、雨の日も自転車をこいで出かけたのだ。
アパートには空室が目立つ。
夕方になると窓ガラスに夕日が反射し、遠くの雲が金色に輝く。そんなんを眺めながら、冬には階段の途中でココアを飲む。
恋愛をしたいと思った時、誰一人自分が望む愛をわかってくれないとして、その愛の仕組みを一から説明しなければならないのなら、それはとても面倒だな。
説明したところでわかってもらえるなんて奇跡みたいな確率だし。
奇跡は起こらない。
たぶん。
 
なんて崩れやすい好きや嫌いが溢れた世界。でもきっと、その中で、守ってこそ、だ。
濁った雨の空気の中を、自転車がライトを点けて滑り込んでくる。
皆一様に失望のような苦笑のような表情を浮かべている。なんて強い人間たちだろう。
学校。国語演習。
「答え合わせ。工藤答えを順番に。」
「全部ですか」
「…」
「ア、エ、b、棒線D、1、2、……3!」
「ちがぁっ…
「5。」
「違う。」
「やだなぁ1ですよ。」
「あ、すまん工藤、3であってた。」
「もういいんです」
先生の目がぼろっと落ちた。念じたので。血管が黒ずんでいた。煙草の吸い過ぎだ。

だめだっ。全然何にも許せねぇ。
だめだああああああああああああああああ
こんなんです。マキロンが切れた夜。
人間地獄は鳴りやまないっ。
もぬけのからさ
9月29日

どうも結構重大な間違い。赤とんぼと藪蚊が闊歩する絶世の暗い秋。
校庭のもろい土の壁を叩く雨が暑苦しい。もう何もかも煮え立っている。未来が見えない。希望もない。絶望は月三回。
満月の夜は海老。白兵、真夜中振り切り人殺し。

この世で一番卑怯な方法で、一番必要とされるポジションで、愛され愛されいあされてるうちに、触れたいものには触れたいだけ、
できればここが総本山。

縁なき衆生
テレパーシー、虎符投げたら谷から敵兵コマ送り。ばばばばばばん。映画が撮りたい。そう思わないかい。
学園を破壊して尖塔を立てたいそう思わないかい。ゴシック様式の背後に迫りくる針葉樹っ

白黒フィルムで中指の第二関節の写真を撮りたい。そういうご飯が食べたい。
なんということか
ああなんということか
見通しもやめ時も分からない。見栄えが悪い見開きの資料集。見舞いに来ただれかを退屈しのぎに侮辱、嘲笑、ロッカー閉めて振り返った親友みたいな不幸っぽい、傘立てに引っかかったビニール傘のごとく泥棒の目で、許しの微笑みか。
見込みのないこれからに見事な光。
すぐ横を掠めて行く暗い暗い絶世の暗い秋の夜と激しい雨と、濡れたスカートと自転車にひっかけたビニール傘。車が二台、続けてくるよ。ばっさばっさと水溜りに映り込んでは、周りが見えない。暗いから。暗い道路の黄色い年取った電球の下でセーターを脱ぎすてた。
あの馬鹿どもと同盟組んで闇夜に見参。
映画を撮りたいそうおもわないか。

棉屋りさが蘇った。いい加減私の視界から消えてくれないか。蹴りたい。蹴りたい。蹴りたい蹴りたい蹴りたい。蹴りたい胸。
ところてんでも食べて酔おうと思います。勝手に。
 
男を覚えて、男をきりきり舞いさせて、男で遊んで、男で楽しんで、高笑いしてる女の子を見つけて、自分の末恐ろしさに殺したくなりました。誰をだ。
こんな気持ちも毎度のことです。せめて男も女もタダの他人に見えてるこのかさかさがいつまでも続けばと、私は思います。あんな女の子のじっとりになるのはごめんです。何もかも崩れだします。
すべりだい。
僕ぁ、もう負けられないんだよ。

9月29日

明日は成城大学ガイダンスです。くだらない話をされると思います。爆睡すると親を呼ばれて、併願できなくなるらしいです。いらないよ併願(笑)
親を呼ばれるのはまずいのでミントの飴でも舐めて頑張ります。
寝ます。明日書きます。 もうさぼりません。
チャットつけました。


9月28日

風邪が治りました。つか風邪だったのかと言う感じですね。はい。学校も行ってたしね。喉いてーとか言ってたけど唐揚げ丼毎日食べてたしね。
つか唐揚げ丼代半端ないんですけど。
食費すごいんですけど。食費って言っても昼だけだけど。
野菜代・昼食代、かかりすぎ。
弁当作りに励まねば。頑張る。 

我が家の長男(弟)は明日から中間考査のはず。


……私は腐女子が苦手です!
嫌いではないですが、苦手です!
でもスキーオタクの内田さんは好きです。


9月27日 どうだ○浦君、明るい日記だぞ
 
一人称が邪魔!
これが私が男の子で、一人称が「ぼく」なら話は別かもしれないけど、私はずっと「わたし」で書いている。
しかし「わたし」が入るとリズムが崩れる。
「です」「ます」や句読点は書き方を変えれば省けるし、リズムにもできるが、「わたし」はどうしても省けないときがあるし、どうも私の日記のリズムに合わない。
ゆっくり長く書いても途中で力尽きない、作文みたいなものを書くんだったらいいんだけど、私の日記と「わたし」っていう一人称は相性が悪い。日記を書くのと作文を書くのはちょっと違う。
私は日記を書く時にはたいてい苛々してるので、家族に「キーボードたたく音うるさいよ」と注意されるくらい力んで、バンバン書いている。
そういう時にリズムが崩れると大変萎える。
作文の時は、ゆるくゆっくり、かすめるように。日記の時は素早くざっくり、えぐって。って感じで書きたいが、どっちにしたってリズムは大事で、どんな良い言葉を使っても、リズムがなければ特に私の文章には何の面白味もない。
文章自体はあんまり上手じゃないと思ってるので。言葉のチョイスもそんなによくはないだろうし。
だからせめてリズムを崩すものには敏感でなくてはならない。と思っている。
ここしばらく、それもいまいちできてなかったけど。だから落ち着かなくて書いてても面白くなかった。
昨日一昨日は全然だめだったので黙っておいた。
 
「わたし」と「あたし」は全然違って、印象も違うけど、「わたし」よりすばやくて鋭くて、…まあこの辺は人によって感じ方が違うと思うのですが。「わたし」は「あたし」よりとろくてのぺっとして、素朴。だけどその代わりに色んな色つけができる。
「ぼく」と「おれ」が違うように「われ」と「わがはい」は違って、「わたし」と「あたし」も違う。
どれを入れるかで全体のリズムだって変わってくる。その一文が変われば次も合わせるために変わる。
私は音楽とかそういうものはあんまりできるほうじゃなくて、音符も読めないし、「三拍子」とか言われてもピンとこない(←天然記念物)。難しい楽器も習ったことないし。
けどリズムと音はホントに大事。文章を上手じゃなくても「楽しそう」と思ってもらうためには。
ネットの日記は私が出向いて朗読するわけじゃないから、文面だけが全てになる。発表会よりずっと難しい。子供の横で代わりにしゃべってやるのは簡単だけど、いざ一人で子供を行かせるとなるともっとずっと緊張するみたい。
リズムを止められると非常に嫌だから、良い一人称を模索していたんだけど、どうもねぇ、あんまり奇抜なのもどうかと思うし。
だから「わたし」で書いてますけど。どうもイライラします。
日記を書いてアップした直後に私に電話すると不機嫌なのは、そういう、「なんかひっかかる!」みたいなのが多すぎてうんざりしてるからです。
でも一日で一番元気になってるのは日記書く時だし、一番ニヤニヤしてるのも日記書く時だし、一番苛立ってるのも日記書いてる時なので、大切なのです。
つかそのほかの時間なんて結構もぬけの殻みたいなもんです。

正確に言えば私が使っているのは「私」で、ひらがなの「わたし」とはまたもっと違うものなんだけど、ちょっと分かりにくくなっちゃうからひらがなにしました。

「何考えてんのかわかんない」てよく言われるのは、もしかして夕方以降の日記に向けて力を蓄えて、省エネモードに入っているからかもしれないです。
日記を書いてる時、ふくらはぎあたりが発光してるとかいう噂があるとかないとか。
今気付いたんですけど、私日記書いてる時ほとんど呼吸してないです。どうりで頭が痛くなる。

9月27日
畑の前は寒かった。
 


9月26日 発光

今日は池袋の古代オリエント博物館に行きました。
どうやら私は花粉が飛散する季節になると目がかゆくなる個性を持っているようです。しかし喉が痛いので風邪かもですね。
でも喉が痛いのは叫んだからかもしれないです。
二重跳びの練習し過ぎて脚全体が筋肉痛です。あと背筋。動きたくないです。
池袋から帰ってきて、成城学園駅から自宅への道すがら、本を大量に拾いました。ほぼ新品の国語辞典なんかも拾いました。あとはなんか古本屋に売れそうな本。
成城学園高等学校が捨てたものでした。なんで捨てるんだよ。
夜が長くなってきましたね。
明日で中間試験三週間前ですが、私は一週間と三日前から勉強を始めるのでまだガンガンモードには入りません。
ところで母が私の郵ちょのお金を下ろせないようにしてしまって、大迷惑です。あれは私の金でありますよ!誰か私の母に会うことがあったら「そういうのよくない」と言ってやってください。まったくひどいです。
 
このところ自分が今本当は何を書きたいのか、ずっと考えています。
 
実は私はすごく元気です。
今日、購買でから揚げ弁当を受け取る列に並んでいたら、このホームページを読んでくれている○浦くんに、「日記が病んでる」と指摘されたので、明日の日記は明るく書こうと思います。※別に私は病んでいない
明るく書くと、とっても嫌な文章になるかもしれませんが、どうも、どうか、お許しを。

誰かの文章を読むと、使いたかったけど出てこなかった言葉が見つかることがあります。特に自分から遠いところにいる人が書いたものほど、私にそういうものを教えてくれる気がします。
祭囃子がきこえますぜ。

9月25日
やっぱり太宰を読み過ぎるのは、私にとってはよくないことかもしれません。
太宰の、小説は、みんな言うような、ただ暗いだけのもんではではなくって、新宿をのぽーっと歩いている無感情の人の何十倍も狂気があって、痛みがそのまま殺意のように、時には喜びなんかでさえ、殺意になって、一行一行に込められている。と、思う。今まで新宿をのぽーっと歩いていた人が何かがあって人を殺したくなってナイフを握るときにわき出すすさまじい殺意を、一遍書くたびに原稿に向けられる作家だと思う。それを読んでると私は苦しくなってしまう。足の先がいきなり冷える。
 
どうしても失敗できない作文とかを書く前には太宰の作品を読んだりしますが、今日の温かさと、明日一人でいるってことを、考え過ぎるとどうにも。もうなんだかダメですよ。理想とは離れ過ぎてしまう。あのようなものを書ける人が、お酒をおいしいと思って飲んだことがあるだろうか。鰤の煮つけをおいしいと思ったことがあるだろうか。あるんだろうけど。
あの人は壊し方がきれいすぎて、真似したくなってしまう。守るのでさえ壊しているように書く。私はもっと上手に守りたい。
あんなの読み過ぎるとパソコンで文章なんか書きたくなくなる。原稿用紙と万年筆だろ、って思う。インクは青インク。始めるときりがない。パソコンを叩いて文字を打ち出すことに焦っている自分が嫌になる。パソコンで音楽を作ってるのと同じみたいな、悪いことをしている感じになる。思えばまったく実感がない。本来焦りが使われるべき場所に焦りが使われていない。いらいらしちゃいます。
別に私は太宰ファンではないです。よくファンでしょって言われるけど、つか、ファンって何?ファンではないですよ多分。読者なだけです。でも太宰はとても文章のうまい人と思います。
 
ああ、ファンと言えば、よく「ドグラ・マグラ」とか好きでしょ、ファンでしょ、って言われるんですが、私はあの面白さがいまいちわからないです。
あんなもので精神異常を起こすとも思えない。(なんか裏表紙かなんかに「精神異常を起こす」とか書いてあったような気がする。)どうってことない。
けど騒がれてますよね。売れてますよねおそらく。あれ、おもしろいかなぁ…。
ああもう、ちょっとこれはいけない兆候だ。
なんでもないことが恐ろしく、なんでもないところが真っ暗に見える。何でもないことが汚らしく、なんでもない人を嫌になる。
だめだなあ
ほんとに。
ああもう、だいたい私は頭がいいはずなのに、何をしているんだか。なんのせいにして、誰のところに逃げて、こんな素敵な生活を送って、それでもまだ昔のことなんか思い出してみたりして、だいたいもっと言わせてもらえば、なんで友達も見ているところにこんな受験勉強の妨害みたいな文章を書いて、まるでおかしい。きちがいじみてる。迷惑だ。読んでいただいているからには何でもいいから何か安心してもらったり感動してもらったりしなきゃいけない。
そうです私は勉強すればよいのだ。
勉強に身が入らないでがくがく怯えているくせに、まだ何かのせいにしようとする。そういうことを一番嫌っていながらもなんでこんな風に「おお、青空」とか「草が青い」とか「なんと月の丸いことか」とか、馬鹿みたいな、そりゃあ感動的ではあるが、いま楽しむにはふさわしくないようなことに感動して、はしゃいでいるようなふりをして、なーにが完璧で優秀だと言うのだ。完璧でも優秀でもない。落ち目だ。
落ち目。恐ろしい言葉だこと!うう。
なんでこんなに荒れているかって、いうとな、
今日一人の友人に、死ぬほど的確、恥ずかしいことを指摘されたからなんだよ。
なんて小さな人間なんだろうな。
明日が日曜日で心からよかった。とても明日学校に行く気にはなれない。学校に行く日は無機質な憂鬱が打ちつけるような、雨の激しいほうがまだいい。近頃そう思います。
え?太宰を読んだんだろ、ってか
うん読んだよ。だって失敗できないから。でもちょっと読み過ぎた。
太宰全集なんて、昔から持っていなかったような気もする。
もうわかんないし、昔のことは忘れることにしよう。
うざったい。
日記を書いているからにはもっと新しく切り開いていく態度を見せるべきだ。
そんなこと言いながら、9条ちゃんの第3版の巻末に載っている、知恵院左右の作文、あれを最初の何行かだけ読んだ時、なんか、太宰もおんなじようなこと書いていたなとか瞬時に思い出した私はやっぱりちょっと……あんまり小さい時から読むもんじゃないですね。私が人間失格を読んだのなんて小学校の時です。それからは、あんまり読み返してもいないけど、むしろ他の短編やらは読み返しても、太宰のなかで人間失格だけはとばして読むくらいです。けど不思議に、小さい頃に読んだものは覚えているもんです。
古本屋で読んだんです。
その頃私は古本屋で最初の何行か読んで、気に入れば母に言って新書を買ってもらうのがあたりまえで、新しい本を買うことに何のおもしろさも感じなくって、どうも、腐っていました。あはは。
でもまあそんなわけで、ううん、消しゴムのように本を読み捨てていました。
本を積み上げて、何度もペラペラやって、そのうちに書き方なんかも覚えました。
たまには父の机の横に正座して、大量の本のなかから、お気に入りの一文を報告する事もありました。父は文学のわからない人でした。そりゃあ私だって分かっていた気はしませんし、今でもまるで解ってないんですが、父より関心はありました。父はパソコンの画面を見て数字に気を配りながら私の話に耳を傾けていましたが、上の空ってわけでした。
そうはいってもあの人は妙なことにこだわって怒る人でしたから、いきなり「それはちがう!」とか言われて、もうそうなると私は「はい、はい。ああなるほど、そうですね。」と言って終わるのでした。妙に腹立たしく、しかし母は基本的に英語圏、仏語圏の人だったので、そういう方面の、基本的に外国の文学のことしか話せなくて、例えば私は母と気楽な話がしたくて、魔の山だとか、車輪の下、あとは、老人と海、白鯨、変身なんかも読みましたが、どうも言葉が全然かみ合わなくて、日本語訳のものを読んでいるのに、味のないガムをかみしめているようなつまんない気分で、すぐにやめました。 そうです私は、誰かに自分の言うことを実はほんとは真面目にきいてほしかったんです。馬鹿な。今がその時という今現在、私はなにもいえないでまごまごしている。無駄遣いだ。浪費も、ここまでくると見事なものだ。
 
また、私は、新しい本棚を買いたすことに非常な喜びを感じました。小さなころに興奮して喜んだことなんて、本当のことを言えば、本棚を買ってもらうことくらいだったのかもしれません。
本の量ばかりが増えました。
私はそれらを愛してるわけではありませんでした。量が増えて行くことに喜んでいただけです。本棚に文庫本をぎっしり詰めて、引越す時にはほとんどを売り払ってしまいました。大量の本こそが、私があの家で過ごした苦々しい時代の象徴のような気がして。今はあんまり本を読みません。
祖父がたまに遊びに来て、私の本棚を見て感心していました。
あの人たちは、本を読む子供を勉強家とみなすのです。私は素敵に心が軽くなりました。「勉強家」といわれると。
今から思えばなんと、嫌な、本の使い方だろうか。嫌だ嫌だ。
日記を書き始めた時と今ではまるで気分が違うという、おかしいですね。ちょっと変です。これでは自分が心配です。自分の何が心配なのか、よくわからないんです。
誰かに束縛されなければ本当に怪しげなところに行ってしまいそうです。
まずいなあ。こんなに疲れてるのに、わくわくしている。
自分で書いているものに興奮すると、麻薬飲んでいるみたいになります。
頭が痛いです。
こんな夜は体が発光するようです。
そうです私は、蝉になりたい?

読み返さねばと思いますが、前半はクズ文な気がするので今日はやめます。一日くらい、こんな日があるのもいいだろう。こんなこというにはもうちょっと文章がうまくなければいけないと思いますが。

子供を養子に出すときや、子供を長い間家に置き去りにする時に、親や兄弟が、寒い時にはなどと言ってセーターを掴ませたり、大きくなったらね、なんて言って、粋なブローチを女の子の胸元につけてやったりするのは、もう、ほんとに、酷い。ひな人形をテレビ棚の端に出しっぱなしにしたままトランクをひいて家を出たり、するのは、酷い。苦い愛情のしみ込んだ物なんて、持っているだけで辛く、甘く、苦く、失えば失ったで苦しくてたまらない。
別れ際に、金持ちになれだとか、好きだったよとか、子供は恋人ではないのだ。「もっといい奴を見つけろ」と言われても、その気も起こせないのが子供なのだ。

英語演習の授業中にぺらっと思い出して、家に帰って青空文庫で太宰治の一問一答を読みました。つーか私の太宰全集、まじでどこ行ったのか。高級品だぞ、え?ほんとにどこいったのかなー。前の家かな。

9月24日
古びた爪切りをぱちぱち言わせて
つやのある健康な左手の五つの爪を肉ギリギリまで切り落とす。
そのまま歩いて暗い廊下を歩く。今に幸せを掴んで見せよう。御覧に入れよう。
私はこのままではだめになる。
もう左肩のほうから駄目になりかけている。
二日前まで視界の片隅に張り付いていた人たちが、気付けばすっかり消えている。それをさみしいと思うこともない。少し頭がおかしい。人の声を聴く気になれない。カラスが鳴いているのを、聞きませんね。しばらくカラスも見ないから、カラスを忘れました。どんな顔だっけ。カラスなんて、すかすかの名前だな。やっぱりちょっとカタカナは苦手かな。からす…からすみ?どんな味だっけ。全て忘れた。
と言うわけで髪を切ってくる。

髪を切ってきた。シャワーに入ってくる。

すっきりした。ちょっと失敗したけど。
英語長文をやらないとだめだ。
日本史と世界史のどっちで受験したものか。いやでもたぶん、日本史で受ける。
うん
もうこの話は止す。

男になりたくはないが男になりきりたい。
若者ぜんぶを騙したい。自分も騙したい。
髪を短く切りすぎた。そんなこと考えてたからだ。いいかな。
 
鍵忘れて家に入れない小学生とか居ないかな。居ないかな。誰かと手をつなぎたいの!
ぶっこわれ。おまえもぶっこわれ(命令形・工藤語)
 
やっぱり違うな。男になりたくないけど、女でも居たくない。今日一日中考え出したらずっと、この肉が煩わしかったと、ただそういうことだ。減量するかな。思ったんだけど私はダイエットの仕方を知らない。私が言う減量って、そういうんじゃないのだよなー。だいたいカタカナ語は嫌だな今夜は。
 
どーもおかしい。髪を切って、三ヶ月ぶりくらいにテレビを見たせいだ。寝る。思い出した。私は二時間しか寝てないんだ。どうりで。おかしい。
言い逃れできないくらいおかしい。明日学校に行ったらいじめの対象になっていることだろう。ずいぶん酷いことを色々言った。誰も傷つけず。
誰も傷つけなくたって明日の自分の首を絞めるよな。嫌だな。ぶちっ

うわあああああああああ!


9月23日
そうね私は、何をこだわってるってわけでもないのですが、部屋に積んであるCDだとか、80年代の音楽雑誌とかが、順番を変えられていたりすると、とりあえず「おい」と言って腹が立ったようなふりをして見せるのです。そうしなければ家族と言うものは瞬く間に緊張感をなくしちまいます。
詩集なんかはいくらいじくられても気づかないでいます。
割とよく見るので、位置が決められてないのです。
CDだの、音楽誌だの、実際のところそういうものについて、自分で所有していながら私はよく中身を理解できないんです。音楽や絵なんて、ただ聴いたことがある、見たことがあるっていうだけで、「好き」とか言っているんです。いざ目の前で背広のよく似合う人なんかに、うきうきして絵について語られたりすると、いつ自分の理解できないことが出てくるかと、おろおろして、はらはらして、もう二度と音楽や絵が分かるふりなんてするのはよそうと思うのですが、何を知らないのかと聞かれると、また全部知っているような気がしてきて、「ああ、まあ確かに、知らないこともないね」とかって言ってしまうんです。
けどどうも、音楽とか絵画とか言うものを、魂で感じるような経験はなくって、周りの人が心に響くとか魂に響くとか言っているのを聴きながら、本当にそんなに感じるもんかしらとか、もしそうなら自分は相当鈍いのとちがうか、とか思って、いよいよ自分の知らないところで自分が無知であったり、鈍感であったりすることが恐ろしく、全身、全神経に注意を向けているつもりでありますのに、やはり抜け目が多くて、頭のいい人がやってきて、大抵の抜け目は見抜いてしまうんです。
黙って笑われるのも吐き気のするくらい嫌なものですが、抜け目を的確に指摘されると、どうも大通りで裸に剥かれたみたいに寒くって、全身の皮が縮むような、内臓に悪い心地がします。
あの賢い人に苛々と落ち着かないではありますが、どうも、ねぇ。
あの人がいないと困るものですから。


青空文庫読むようになってから眠れないなと思っていたら、太宰の駆け込み訴えに偶然行きあたっちゃってもっと眠れませんよ。ひええ…


9月23日
一年半後の自分の貧乏が見えるようである。
が、まあそんなものは見えないふりで。
親が早死にするのが見えるようであるよ。
心労だとか心臓だとか、肝臓だとかで。

親より子供が大事、と思いたい。思いたいんだ!


変装して新宿いこっかな。 明日。※私の変装:普通の女の子みたいにする 
ツイッタの、「○○に似たユーザーをもっと見る 」っていうアレ、気になる。「似てる」って何。
冬服どうしようかな。と、どうする気もなく考える。とにかく髪を伸ばす。かな。
スカートを着てベランダのポールに登ったら足が寒かった。わお!
馬鹿な女の子みたいだ。楽しい。
おばさんが三人、草むらに寝転んでペットボトルを咥えたまま喋っている。壊れそうだ。公園の緊張が、解け始めている。
おかしなおばさんたちだ。
今日は随分、遠くまで見えるな。
夢を見ている。これからの自分たちの、あり得ない未来。
明日のこと。
それから離れて暮らしている、おじいちゃんのこと。
もうものを言わないおばあちゃんのこと。
お父さんのこと。兄弟のこと。お母さんのこと。
ばらしてつなげて眺めて吹いて、羨んで、もう一度はじめから怨みなおします。
誰か写真を撮ってくれ。たぶん今が一番若いので。

 
9月22日
五里霧中の工藤は目指す大学を決めた。満月の夜に決めた。
怖い。
登戸で月見をしたのです。
今日は進路希望書のことで頭がいっぱいだったので、危うい発言が多かったと思う。失礼しました。
まあ、もう大丈夫。
しかし月が丸いなあ。大物になってやるぞっ

9月21日  

22日は成城学園前のマクドナルドで200円に割引になっていたビックマック的なものと(大きいハンバーガーですね)、100円のマックポークと、100円のマックシェイクイチゴ味を、友人と食べました。
 
なんかみんな変なんだよな。アドレスとか番号とか聞いても、それきり使わなかったり、なんかとりあえず「赤外線で、…じゃあ、送るよー」「じゃあ受けるわー」ってやっとけば仲良くなった感じがするみたいだー。
私は最近気付いたんだが、赤外線が届くくらいに近づいて、二人とも画面をのぞきこめば、相手の匂いが分かるし、髪の質も分かる。あれって、赤外線で電話番号とアドレスとかプロフィールを交換しながら、相手の匂いやファッションを探り合う儀式かもしれん。まじこええよ赤外線。あーあ、またどうでもいいこと書いちゃった。
今日は登戸でもマックに入りました。マックが安い。

9月21日
明日はお月見。
明日は四時間授業。
今日は8時間忍耐の勉強(全力)。しにそ。
体力と言うか脳が。指が。
なぜこんなことをしたんだろう。
ヨーグルト食べまくった。だって冷蔵庫にヨーグルトしかいなかったんだもん。
うへー
明日書きちんとかきます。ごめんさい


9月20日 ※昨日アップしようとしたら内容が汚すぎてPCが拒絶しました。それくらい汚いので読まないほうがいいかもです。
 
一日の終わりに家族で親権裁判の話になって色々萎えました。
どうやら弟と私はばらばらになるかもしれないようです。くそです。
実はこの二年くらい、裁判続きで、どうも家族に対してどういう心構えで暮らしていったらいいのか、分からないでいるのです。一週間後にはサヨナラするかもしれない人達と一緒に暮らして、家族をやると言うのは妙なもんです。
「なんと汚いはなしだこと!」
まったくですよ。
そいで、ある程度成績を取らないとやばいんだと言われた。
遅刻欠席なども気を付けないといけないんだとも言われた。
そうしないと私もどこかへやられてしまうんだと。死ねよほんとに。もうやだよ。
いろいろ嫌なところのあるやつではあるが、弟は弟なんだから、ばらばらにされたらそりゃ困る。親というのは本当に勝手だ。
弟と引き離されるなら、最後に記念の旅行として家出をしよう。金もないが。
弟は私と同じ家で、同じ父親と母親と、その二人の喧嘩も裏切りも、歪んだ仲直りも見てきたただ一人の兄弟です。 
弟は私を裏切るが、兄弟だから許せる。親の裏切りは許し切れないが。

弟と離れろと言われても、私が弟と一緒に暮らすと言えば、父の家で一緒に暮らすことはできるが、多分私はそこまで近づくと父を殺す。
殺さなくても、家にもろくに帰らず、自分の人生も弟の人生もぐちゃぐちゃにしてしまうだろう。父と暮らすのは無理だ。
それに父は別に私には興味がない。
おそらくこの冬、家庭裁判所でどんな判決が下されようと、私はうす笑っているだろう。そういうやつだ。わたしは。
だが悲しんでいる。苦しんでいる。殺したいと思っている。
こんなことになるならもっとよく考えて結婚しろと言うのだ。
もっとよく考えて子供を作れと言うのだ。
せめて子供が私一人なら、なにも気にせずどこかへ行っていた。
弟のこと考えてここにいたのにな。
腐って行きやがる。
誰がこんな親など信頼できると言うのか。
こういうときは、私は両親を愛する子供を嫌いになる。
かっこ悪いことだ。情けないことだ。だがやっぱり、自分は、もう失ったものの話などしたくないのだし、いまは傍にいない人の話なんて思い出して悲しみながら、なんともいえない虚しい気持ちにはなりたくないのだよこんなふうに。情けないから。気分悪いから。
もう眠る。
未来の自分に、覚えていろとささやきかける。自分の子供を不幸にしてはいけない。

最近は師匠の昔の日記を保存した奴を読み返すのが何よりの楽しみで、今日読んでたところは、貿易センタービルのテロの頃の日記だった。
どきんとした。何回も読んでるけど、今日だけなぜか「わあ!」ってなった。
私は貿易センタービルのビルディングの一本二本が倒れる映像を、暗いリビングで一人で見ていた。あの頃。
生きててもなーンも楽しいことないなー。死んだらどんなだろ。とか思いながら。
膝を抱えて窓の外の栗の木を見ながら、あーあ、とか思って。
そっかあの頃師匠が書いてた日記だ、と思った。
いきなり幸せになった。
生きてて良かった。

9月19日
なんだよ、嫉妬とか恋とかかわいいじゃん。
とか、軽々しく思って、
19日が始まって終わるまで、復活させてみたんだけど、「くだらねこわい!」
身の置き所が分からない。
不安定すぎてテンションあがっちゃいました。
あは。えへ。
見なさい。工藤が「えへ」とか言ってる。(笑)
もうどうしようほんとに。
人類全員伐採しそうだった。ほんとね、嫉妬と恋はおわりがないよっ。
つかなんでこんなこと始めようと思ったんだっけ。
忘れた。
学校の前をうっかり通ったら、家族を愛せず、学校を生活の拠点としているのかもしれない担任が、憎々しく出てきて、「あ、工藤さん、ごきげんよう」と手を挙げた。うそでしょう、「ごきげんよう」ですと?私は「こんにちは」と行ってしまってから、「ごきげんよう」と言い直した。笑った。ありえねー、ごきげんよう、なんて初めて言った。
「工藤さん進路希望書は?」と言っていた。「三学期出します」と言った。もう知らないわっもうしらないわっ!
駅前のゴディバには馬鹿と富豪が行列を作り、隣の電機店が迷惑そうだ。
私なんてゴディバの正しい綴りも分からない。GODEVA?あってる?GODIVA?うーん、なんか後者のほうが近い気が…
そうそう、文化祭でもっふる(ワッフルと餅を合わせた変な食べ物)を作るんですが、あれって、ワッフル型がないとできなくて、ワッフル型なんて持ってる人いないし。借りると高いし。
どうでもいいが、私の母と弟はどうしてすぐ喧嘩するのか。今日なんてTOKYU HANDS新宿店まで弟の通学かばん買いに行って、結局店の真ん中で喧嘩して帰ってきた。何も買わずに。すごい恥ずかしかった。あはは。
自転車売ってた。ロードバイクかっちょよかった。
ところで。
師匠は病院に行くべき。
師匠は病院に行くべき。
師匠は病院に行くべき。
師匠は病院に行くべき。
これだけ書けば行きますか。行ってください。
死にますよ。


9月18日 足の裏痛い

レシートばっかりたまるよ、もう!
自動販売機に惚れそうだ。レシート吐かないもん、あいつ。
わしの両親はもう働くことには飽き飽きしたようです。そんなこと言われても困ってしまうんだが…あはははは
なんだかね、彼らの「ちょっと休憩」の「ちょっと」はスケールが大きい。いつまで休憩するんだろう。まあ昔からずいぶんゆったりと貴族タイムで過ごしている人たちではあったが…もうそろそろ色々捨てて働いてもらわないと、特に母には働いてもらわないと、冗談抜きで、正月は越せませんよ。餅が買えないですよ。
だいたい面接に行って帰ってくるたびに、
「私は高所恐怖症だからあんな高いところには通えないわよ」
「六本木ヒルズで働いたら洋服代のほうが高くついちゃうわよ」
「一階に置いてある蜘蛛の彫刻が気味悪かった」
「昔私に付きまとってた人が働いてるから気まずい」
私はいつも「そうかー、それはだめだな。大変だな。」というんだが、
近頃じりじりと、国に生かされている気がしてきました。
いろんなことでてんてこ舞い&恐ろしい眠気、だったので日記を何日か書かなかったら、うずうずすごく不安だった。内臓飛び出そうだった。まじやべえ。なんでこんなことに…
私が生きた時間が24時間×何日かぶん日記に残っていない。…なんということ!
なんだろなこれ。日記中毒?ツイッタ中毒よりはまだいいか。
こわいな…なぜこんなことに…受験、だと、なぜみんな私に受験勉強のやり方を質問する…危険だ、ぞ。し、しかし…あー、もう!
なんつーか私は、これまで精神がいかれるほどハードな受験勉強を何度もしたし、イライラする受験にも何度も出向いて、そのたびに第一志望の学校に合格してきたが(つか、私は第一志望の学校一本で受ける主義。滑り止めとか受けない。)が、しかし、受験して夢をつかんだ覚えはない。いつも喜んでいたのは親だったり、塾の先生だったり。
まあ成城学園中学校に編入した時の受験だけは、成功、かもしれない。ただし受かった時は喜んでなかった。別に。
こう、自分の行きたい学校受けていいよ、とか、あんまりピンとこないな。
なりたいものになっていいよ、とか、ちょっと困るな。
てな訳で進路希望書を空欄とねつ造で埋めた工藤は担任に、「もうしらないです!」と見はなされた。謝らない。
だって決まってないと言ってるのに出せと言うんだもん。無理やりだ。

9月17日
18日は縄跳びとか鉄棒とか練習しました。
その結果、私は思い切りが悪いということが分かりました。なるほど。
全くその通り。全てにおいて。
縄跳びを練習します。
勉強と勉強の間の気晴らしとしてではなく、縄跳びを本気で練習します。
いまから新宿に行って弟のショッピングに付き合う。

9月16.5日 もてはじめた
もてはじめました。母ちゃんののろいです。
私は火星人としか恋愛できないので、近寄らないでください。地球人や火星以外の星の人や意味のわからない生き物はマシンガンで殺します。セーラー服着てマシンガンで殺します。え?セーラー服は…だからほら、最後のサービスですよ。血濡れになるけど。
…あーあ。私、火星に帰らなきゃいけないんですよ。

みくしとかツイッタって楽しい?なんでやるのー?
ホームページめっちゃ楽しいよ。やろうよ。
自習時間に伊達目かけて記念撮影して、古典の助動詞の活用形をゴジラの歌とかで友達に教えてたら、顔に「努力!」って書いてあるような女の子に軽蔑の眼で見られた。おもしろいこわい。あの子と仲良くならなければ。宿題テスト全部帰ってきた。「ほらみろ!全然平気だぜ!」
頭がいいとか悪いとかいう問題じゃない。よく寝て英単語2000と派生語を完璧にして、現代文特訓をやっとけばできんのだ。あとは動体視力。視力。平衡感覚。テスト中黙って居る力。とか調子乗っている場合ではない。地道に楽しく。


9月16日
あーあ。
えへへ
後輩とアイス食べた。
いろいろ書こうと思うが負け犬のセリフしか出てこないので困ります。
明日は土曜日でしかも一時間目は空きなので、夜更かしする。ちゃんと書きます。

9月15日 ビール 
晴れないと元気が出ないっすね。
(これを書いているのは快晴の日、17日の夜です)
雨が降ると私は一日の大半を学校で、残りは古本屋かブックオフか図書館か、家にしかいないので、特に書くことがない。学校では勉強とゆーじん付き合いをしている。書くほどのことはないです。そのほかの場所ではほぼ寝ているようなものです。
友達と喧嘩をしました。大雨の日に風呂を借りに来た友達と喧嘩をしました。久しぶりに肉弾戦をやりました。背中に引っかき傷ができました。ありゃあ百パー私が悪かったです。馬鹿みたいなことをどなり散らしました。
けど喧嘩しました。いいやつです。別に腹が立っていたから喧嘩したわけじゃないです。仲直りしました。15日のことです。そのあと二人発泡する黄色いアルコールを飲みました。いつものより少し上等の麦でできたお酒でした。
昔を思い出しました。星が見えるようでした。実際は雲が厚かったので空一面が低く、白く、いつまでも暗くならないようでした。
友達がギターを持ち出してきて少し弾きました。少し歌いました。
激しい曲の静かなところだけ歌ったので少しで飽きました。
我々は激しい曲しか知らなくて、さび以外はどうでもいいような曲が多くて、友達にはCDを何枚か貸しました。友達のバンドは二か月前に解散しました。ベースの子が福岡に引っ越したそうです。友達は長い髪を黒く染めなおしました。私はその友達の脱色した髪も少し見たかったなと、ポテトチップスをつまみながら笑いました。
勉強机の電気をつけて姿見の前に二人で立つと、友達はでかくなっていました。ジーパンの右ひざが擦り切れていました。白いベルトが細い腰に巻きついていました。
友達には男も女もありません。
友達はいいお酒を持ってきます。いつもコンビニで売っているのより少しおいしい、高すぎないお酒です。ポテトチップスは、いつものよりすこし分厚くて、オリーブオイル仕立てです。昔から金はないはずなのに、普通より高級なお土産を持ってきます。
薄暗い部屋のなかで碁盤の上に皿を載せて、ラジオを聞きました。こんなふうにしてると、私があこがれる私がもう一人いるようで色が逃げて行くので、惜しいので、電気を消して、ガス栓を閉めて、腕のでこぼこの重なり具合とか、布団の綿がよってるとか、笑って、どうでもいい気分でした。素晴らしく暇でした。四時間くらい、眠ることも、大笑いすることもなく、ホームページを教えてあげたりして、しかしお互いにまだ意外だと思えるほどの変化はなく、それが幸せだったので、本棚から全ての本とCDを取り出してまた並べて、古本は全部匂いを嗅ぎました。 
 
いつでも我らはどこかへ行けます。
いざとなれば本も漫画もCDもPCも、ギターも、写真も、どうでもいいので、どこへでもいけます。
それが若いってことだとか、不自由を愚痴りながら友達は自由に言いました。
もうすぐに血液型が変わるとか、意味のわからないことも言っていました。私は夜明けに皿を片づけました。いつも家族がいる場所に友達がいるのは素敵です。万年筆の掃除をしました。友達は若いので、すっと綺麗な置物みたいに、傾いています。

9月15日
ばくばくと光る朝日が雨とともに窓から吹き込んで、頬も首も関係ないほど濡れたあと、布団をたたんで家を出た。ねむいのだねむいのだ。
学校へ行くと友達が、生ハムはメロンに巻くべきか、ラ・フランスに巻くべきかと言う話をしていた。貴族め!
メロンは本場のメロンじゃなくっちゃ駄目だとか言っている。お前は誰だ。
いま大学生と電話してるんだけどいまいち生ぬるい。


わたしはすごくないかっこよくない。べべべべべ
ひやー
嘘です。我ながらたまにはかっこいいです。ただし、私に最高級の恨みを込めて睨まれたことのない人は、私の本当のかっこよさには気付けないでしょうが。
私に最高級の恨みを込めて睨まれた人は父さん以外みんな死ぬか少年院に入るかした。という伝説が…あるかもね。あるよ。
眠れない。
学校に行って、さらに愛のある日記を書くと疲れる。
結構苦しんで書いてるので。
確実に、一昨日の「ラブレター」みたいな日記を毎日書いていたら早死にする。夏休みはよかったなあ。
何にも考えないで書いてると、どろんどろんしてきて、ひどい日記になるので、すこし気持ちを押し返して書かないと、全部の日記が今年の五月くらいの日記(自殺願望からananまで、の時代)みたくなるので、あー、でも、あの頃に比べたら、てか今年の五月のことなのか、あれ。すごく昔のことのようだ。
まあ、あんなもの毎日読めませんわ。

9月14日 
学校通り、マクドナルドで、ずっと座ってポテトを食べていたら雨が降りそうで、100均に行って雪見大福なんていういいものがあったので食べながら自転車をこいだ。
師匠に電話した。
何だかんだ言って昼ご飯抜きだったのでおなかがすいた。
師匠を殺したら、殺った人は私が殺します。それから私は死んだ目で深夜テレビを見ながらピザを食い、ビールを飲んでゆっくり未練を押しつぶしてから旅に出ます。どこへ。あなたのところでないことは確かだから安心してください。
色々あって下らん気分。
メール回復した。よかったです。
塾やめてから家の横の公園で毎日ブランコしてる。一人でやってるとなんでこんなに暗くなるんだ。やめればいいのに。やめればいい。ほんとに。微塵も楽しくないのになぜやる。あたまわりいな。
夏休明けてまだ何日もたってないのに早くも六時起きに疲れてきた…あーあ。落語でも聴こう。よくわかんないけど聴こう。
明日の朝ちゃんと書きます。
ぐにょんぐにょんなので(←友達のせいではありません)
ちゃんとせねば!

9月13日
本屋で金色夜叉立ち読みしようと思ったらそんな日に限ってS田に会ったので、もう立ち読みやめようと思って買おうとしたら二百円お金が足りなかったので嫌になって、直前にかわいい子に会ったのにもう嫌になって、帰って、公園でブランコこぎまくってたら吐きそうになったので家に帰って制服全部脱いで寝たら、朝になってて、まあどういう格好で寝ていたかはご想像にお任せします。はい。更新できずすいませんでした。
追伸、どうも人に裏切られ過ぎている気がする。誰かれ構わず優しくするからだ。やめよう。ちゃんと選ぼう。
そろそろ私の顔の皮膚までもがわたしを裏切り、遺伝子悪に操られ母に似てきた。色々とやばい。鏡を見るたびに「お、お母さん!」と叫ぶような日が来たらどうしましょう。

9月12日  ラブレター

眠いよ耐えられないほどに。
昼過ぎに起きて、とりあえず焼鳥屋さんに行って、つくねの串を口に入れた時初めて眼が覚めて、自分がほとんど意識の無い状態で焼鳥屋まで自転車をこいできたことに愕然とし、しかしやはり本能が求めた焼き鳥はおいしく、あの日がフラッシュバック!泣きました。
半分くらい嘘です。

東京事変のキラーチューン聴いて、昔はずいぶん聴いたなあ、とか思う。
そういえば昨日一緒にカラオケ行った友達が椎名林檎の歌すごくうまくて感心しました。
なんか一人でした。誰にも会いませんでした。塾が…ない。これからずっと塾がない。
主要三教科はいいが、化学とかやる気起きない。
日本史世界史楽しいが、日々の勉強から生物が抜け落ちたので物足りない。そうかもう生物は一生勉強しないのか、とか思って苦笑い。
何もしないでひとりでいると虫を身近に感じる。
普段なら黙ってよけるアゲハ蝶も、一人で歩いているときに擦れ違うと、空高く飛び去るまでぼうっとみとれていたりして、眼球が太陽で乾く。
メールは再び死んだので連絡は電話でお願いします。電話番号は「れっきょうみこにじみはち」です。Outlookからどっかに乗り換える。もうやだ。
最近、うじうじしたり、ばっさり切り捨てたくなったり、変です。
そしてどちらも後で考えれば行きすぎたことに思える。まずいな。

今、私のなかには、狂ったような部分と、冷静に考えようとする部分が同居していて、変です。
今のままではどうも不自由で、不安定だが、
両方とも完全に自分のものにしようとすれば体のなかで強烈な勢いで殺し合いを始め、たがいに中和しようとする。おそろしくなる。ほんとの凡人になってしまうぜ。
狂気に任せていけば勢いはあるが遠くのことは考えられない。それにだいたいの人には聞きいれてももらえない。理屈だけでは心には伝わらない。最も分かってほしい人に分かってはもらえない。
くらくらします。
上手く使いこなすしかないのです。分かっててもできないのです。難しいです。
 
私が夜に、気持ちが荒れて文章を書いてるときなどは、なんかもう攻撃的で、丁寧さと言うものがないし、乱暴です。しかもわけが分からない部分が結構ある。私だけが分かっているらしい。もしかしたら師匠も分かってるかもしれないが、分からなくて普通ですし、普通なら「なにこれ、わけわかんね」と思って読み飛ばすでしょう。
そういう部分を「ぎらぎら」とか言って「すごい」とか言われたこともありますが、
私が考える限り、彼女はあの時私のことを褒めてたと思うんですが、
あんなん(ぎらぎら)は、油かけご飯みたいなもんで、「ちゃんと混ぜて具も入れて、炒飯にしろよ!」って感じですよ。見た目が光ってるだけでご飯に油かかってるだけですよ。
 
まあばらしちゃうとそう言ってくれたのはリンクページから飛べるサイトの管理人さんである後輩なのですが、
私が作ってるのが油かけご飯なら、彼女が作ってるのはちらしずしで、私の最終的目標は炒飯です。
私がガサツだと言うことのみを言いたいのではありませんよ。まあ確かに私は少々ガサツですが。不器用とか言う言葉では済まされないくらいにガサツですが。
彼女はちゃんと考えられるし考えていることを言葉にできるうえに、感じたことも踏まえて、綺麗に、慎重に、丁寧に、軸をぶらさずに文章にしたりできる人だと私は思っていて、尊敬しています。
 
私は、思ったことと言うより感じたことをのみを軸にして書いていて、そのためにノリノリの時は勢いに言葉が乗って行かないし、軸はぶれるし、粗いし、ただ傷つけかねない強さだけがあるー、みたいな。私の文章が目立つという人がいるのは多分その強さとか、歪んだ感情表現にひかれてるんだと思うので(工藤の個人的分析による)、自分が思うに、強さは重松清の作品から、歪んだ感情表現は江國香織や村上由佳の作品から、それぞれ身につけたので、強く望みつつそれらの作品を読破すれば私の書いた作文みたいなのは書けるようになると思います。これまで追いつかれたら怖いから誰にも言いませんでしたが、本気で、そう思います。
こんなことにこだわっても仕方ないと思ったので明かしました。
私にはどっちみち進歩が必要なので。
 
ただし上に書いた作品を読んだりすると心が汚れる恐れがあります。ちらしずしができる人はわざわざ油かけご飯を作ろうとしないでください。何らかの別の方法で油を手に入れて炒飯を作れるようになるはずですから。そんな惜しいことはしないほうがいいと思います。 炒飯ではないものを作るという手もありますし。
私が昔読んでいたと言うとその本を買おうとする人がいますが、まずいです。
私が昔気に入って読んでいた本は「油かけご飯の作り方の本」です。炒飯は作れません。私がここで言っている炒飯っていうのがどういうものかと言うと、色々突っ込みどころはあると思いますが(寿司飯はまずいだろ!とか)おおまかに言えばちらしずしと油かけご飯を混ぜて熱を加えたものです。少々乱暴ではありますが。
 
どういうことを言いたいかって言うと、私の書いてるものは、「ご飯がある。油がある。ご飯に油を加えて食材を加えて、炒めれば、炒飯だよな」って思ってからむしゃくしゃした勢いでご飯に直接油をぶっかけ、「これでいいや、すっきり!」という自己満なもので、例の後輩のように、「ご飯がある。油がある。では食材を買ってきて、みんなが食べられるように綺麗に具を切って、混ぜて、…別々に炒めたほうがいいかなあ。油を入れて、炒めて、お皿に盛って、出来上がり。はいどうぞ。にっこり。」っていうのとは程遠い。まあ、後輩はちらしずしなので、まだ「混ぜて」のところ辺りまでしかいってないかな、と思うんですが。
分かると思いますが、この炒飯の例において、明らかに計画性のない私に比べて、後輩はちゃんと先のことまで考えて順序正しく整理し、先のことに備えています。考えられない私と、考えられるし、理解、把握できる後輩、です。
 
私は頭のなかでは、「ご飯がある。油がある。では食材を買ってきて、みんなが食べられるように綺麗に具を切って、混ぜて、…別々に炒めたほうがいいかなあ。油を入れて、炒めて、お皿に盛って、出来上がり。はいどうぞ。にっこり。」とやるのが正しいんだ、と言うのが何となくは分かっているのです。だって誰かが教えてくれたり、本を読んだり、誰かがやっているのを横目に見たりして知っていますから。
だからたまにできる気になっている。そのせいで、そこの部分の大切な工程を飛びぬかして前に進んでも、「ああ、その部分は分かるから」という態度で、「分かっている感じがするだけで本当は分かっていない」ということにずうずうしく気づきもしない。
だけど、いざ、自分より一年若い後輩がちゃんと理屈を述べて自分の意見や考えを素晴らしく表現した文章を書いているのを見て、自分もやろうと思って取り組んでみれば、一文字も正しいことは言えない。そしてすべてはぼんやりと分かったような気がしていたんだと思い当たり、死にたいほど恥ずかしなる。
何が後輩だ、と、何が一年若い、関係ないじゃないか。
彼女はやべえ。ちらしずし私作れないよ。となる。炒飯とか作れる気でいたんだけど、うわ、恥ずかしい。となる。
彼女は油かけご飯を作れないかもしれない。だがそんなもの作る必要はないし、油かけご飯を素敵だと思うこと必要ない。なぜなら犬の餌だ。それに彼女も同じく炒飯を目指しているかは分からない。すると彼女に油が必ずいると言うことにはならない。彼女はもっと素晴らしいものを作るかもしれない。むしろ油なんか加えないほうがいいのかもしれない。私は若干、加えないほうがいいような気もする。
 
私は彼女を尊敬している。
しかもこのホームページを作る時からもう尊敬するような予感がしていたので、つーかちょっと尊敬していたので、私のホームページのリンクページの、彼女のホームページの説明文には「後輩」という言葉は出していない。こう書いてある。「私の仲間で、友達で、師匠の仲良し。私の仲良し。(相互)。」
いや、偶然とかそういうんじゃないですから。本当ですよ。
すごすぎるので後輩とは思えない。
 
ところで、彼女はちらしずしが作れて、私は油かけご飯が作れるなら、二つ合わせて半分ずつにすればいい、のかというとそれは少々問題がある。
まずちらし寿司はすし飯なんだから、普通の炒飯には向かない。それにさっき書いたように、彼女は炒飯を作りたいわけではないかもしれない。
だから、仲良く混ぜっこはんぶんこ、で完成するわけではないだろう。きっと。
私は自分で足りないものを身につけなくてはいけないし、それらをどう言った配合で中華鍋に入れるか、考えなくてはいけない。
後輩も、私と話している事を総合的に考えると、どうやら「今が完成形」だとは思っていないようだし、まだ育つ気満々のようなので、彼女も自分ですっごくなるだろう。
私はよく、「あなたのようになりつつ、全てはあなたにならず育ちたい」と言う感じのことをその後輩に言うのだが、それは、彼女の考える力や、理解、把握する力(具を選んだり切ったり混ぜたりする技術)がほしいからであって、彼女の根本にある記憶や考え方のレールをそのまま全部根こそぎコピーさせてくれと言うわけではない。それをやってしまったら偽りに近いし。
「あなたが考えて把握して理解するその様子を見て学び、そのうえで自分でもやってみたいから、もうちょい仲良くして、できればそのあとも仲良くして、色々書いて話して見せてください。」と言いたいのです。
なんか彼女は仲良くしてくれるし、彼女の日記はほとんど毎日更新される。私はなんて幸せな立場にいるんだろうと思う。毎日同じ天気の同じ学校で過ごした時間、もしくは同じくらいの時間帯の帰り道に彼女がどういうことを考えていたのか、わかる。
しかもたまにラーメン食べておしゃべりもしてくれる。すばらしい。
というか、もう、私が彼女にお見せできるものがなくて申し訳ない。彼女あげられるものはラーメンくらいしかない。のでせいぜい本を売りまくって財力をつけよう。じゃなくて、もっと何とかならなくてはいけないだろ私は!
 
ちなみに炒飯は混ぜて終わりではないのですよ。火を加えなくてはね。火って何なんだろうな。

後輩のホームページ


ラボ(仮)の管理人さんへ
私もやったことあるよ!→ココ
我ながら…ぷっ(笑)
しかも便所…えへへ

9月12日
PCの御機嫌を損ねました。おろおろ。友達を箸のように引き出しから取り出し、箸のように(こき)使って直させよう。今呼ぶ。

 


 

 
論語を読み返している。また寝不足になる。これではいかん。
 
子の曰わく、吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順がう。七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。
子曰、吾十有五而志乎學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而從心所欲、不踰矩、
 
↑という大事なところを、教員時代の師匠に教わったという友人が結構多くいまして、羨ましいです。私も師匠に習いたかったですよ。

9月11日 セカンドハンドライオン

何か間違ってる気がする。
変わる時はいつもこんな感じがするのかもしれないけど。そうならいいけど。
周りに仲間がいないというのは不安だな。
周りに仲間しかいないのも不安だけど。
何か足りない。自分には色々足りない。
まだ愛される資格がない。いつまでも後ろにいるだけで、誰かの一番には程遠い。逆に今誰かの一番になってはだめだ。自分にはまだ一番が見えるだけで一番の隣も見えるだけで、一番のはるか下も見えるだけで、私はそれを遠くから見ながらハサミを懐から出して髪を切っている。公園のベンチのような黒ずんだ手すりを握りしめながら。
地雷を埋めてる時、たぶんすごく孤独を感じる。頬にふっとホラー映画が降ってくるみたいな。
まさかあと一歩踏み違えれば命はないというところで呼吸が乱れる。
もうそれからが一番の孤独で、どこに膝をつけばいいのか考える。何も見えず。
そういう感じ。
脳の周りを音が駆けてゆく。一周しても触れやしない。句読点がどんどん抜け落ちる。夜中に暴走族が通りを抜けて行く。引きとめたいと私は思う。
今夜も聞こえる。雨の日には聴こえない。随分とさみしい。
暴走族の一人がコンビニに入って、店のなかを、視線を飛ばしながら徘徊するのを、夜中に起きだして眺めに行く。彼らは人間だ。そうだ、人間だ。彼らを人間だと思えば思うほど、自分は何なのだと思う。ポールに座って全ての欲は無くなりましたと言う顔をして、ただこんな時間にも苦いことを考えずには居られないので、シャツの腹のあたりのボタンを握りこんで髪を抄き続けている。汗ばむ髪が夜風に冷えて、憧れだけが思い出される。誰かに会うたび邪念が、邪念が背中にへばりつく。
誰にも会わなかったらどうなるって言うんだ。馬鹿になっていくだけだ。歯を食いしばって一日何本も日記を書いて何になる。一日一本で十分。
何を書いていいのか分からない、と言うか言葉が追いつかない。無理やりだから濁りだす。字数あわせの最後の一文みたいに邪魔で煩わしくて殺してやりくて胃が痛む。
本を読めば解決か。言葉が増えればそれらを使いこなせるようになってこんな苦しみ無くなるか。
他人にあって自分にないものがほしい。当たり前のことだが年を取ったら間に合わなくなるかもしれないし。
持ってるものは何だって、盗まれて構わない。
全て晒して置いたって幸せな奴に、簡単に盗めるようなものじゃないとか。
朝方、宗教画のような空を仰いで、坂を下る。すごいスピードで。
昨日の夜部屋に入ってきた蜻蛉は扇風機の横すれすれを通って、カーテンの合間から闇に抜けた

正直に言うと今週体調悪いんです。日記がぐだぐだでごめんなさい。
思ったのだけれど、私にあるのは文才ではなく、たぶん狂気とスタミナだけです。
調子が悪くなってスタミナも狂気も失せると全然ダメだから。

9月10.5日
カラオケに行った。
一時間だけ。

9月10日
宿題テストでした。
一夜漬けで何とかなった気がします。宿題テストの勉強ほど「無駄だ!いらいら!」って思うものはありません。あれは暗記の練習なのかもしれません。しかしどうせ暗記するならもっと役立つことを暗記したいですな。あの勉強を夏休中真剣にやっていた人を尊敬するとともに憐れみます。
練馬区まで自転車をこいで、世田谷区まで帰って、家に入って、ポテトチップスを食べました。昨日はじゃがりこ食べました。どうやらジャガイモを殺しすぎです。当分ジャガイモは控えます。我々には米があります。
家の冷蔵庫には冷えた紅茶とかいう上等なものが入っていましたが、怪しげなポットに入っているうえにこんなものが我が家の冷蔵庫にあるのは奇妙なので牛乳を飲んでおきました。あれは私を殺そうとしているのです。なにか悪いものが仕込まれているのです。なんっちって。
とりあえずテストは終わったし日記も更新せずに10時間ほど寝たので元気です。見てくださっている方には本当に申し訳なかったと思っています。ごめんなさい。 

9月9日  青血に(せいけつに)
寝てしまいました。寝不足で。すいません。
塾行かなくても寝不足になるんですね。
二日間で睡眠時間5時間でも自転車漕いで練馬区までいけるんですね。
そして私は意識が朦朧としていたほうが道を間違えないようです。
血が青く騒ぎます。やばい感じです。
全身の血が真っ青です。
9月8日 僕も夢見るさ

今日はどうも冷えるので窓を閉めて眠ります。
冷えるのと関係あるのかないのかわかりませんが、どうも日記の文章がまとまりません。いつもまとまっているとは言えませんが。昔から聴いている音楽を聴いたりしても、ますますだらだらしてきて、どうにも。

気に食わないことが多いな。
あたりまえか。
あたりまえです。見てろ後一年半でやりたいほーだーい。(の、はず。)大学受かればね。
 
そしたら信じられるものを守って、気付かなくてはならないことに気付いて、線路沿いや川沿いを散歩しながら夜にはお酒を飲んで、好きな人とお酒をのんで、そんなことだけでいいんですが。 贅沢ですね。ほんとはもっと早く気付かなくてはならない。
これまでいくつもの夢をぐしゃぐしゃにしてきたが大した思い入れもなかったから、それらはほの暗い敗北の記憶として、まだ残っているけど、無視できる程度さ酷く落ち込まなければね。

手袋さえなくてもマフラーあればいいんですが、コートがなくてもセーターがあればいいんですが。それで冬は越せるんですよ。温かい食べ物を私が作りますから。
セーターに、マフラー巻いて川沿いを歩く、そんな希望。
自由って言うのはやっぱり希望だ。
私に買いたさねばならないものはない。真っ赤なセーターも白いマフラーも、真っ白いセーターも赤いマフラーも、持っている。もう身長は伸びないし、太らないように気をつけるし、痩せる分には平気だ。
食べるものだけ買えばいい。育てたっていいしね。
やっぱり最後には、小さい頃の夢の通りになるのかもしれない。紙に書いてすぐに捨てた。そこには「医者になる」も「東京大学」も「金持ち」も書いてなかったのさ。何が書いてあったのかは秘密なのさ。  

9月7日  消えない夜
鯨のびらびらの管理人さんと井の頭公園に行きましたが、工藤のベースはやっぱり貧血と寝不足だったので、いつも通りにふるまった後三鷹台の駅のホームで電話した後、死にました。家に帰った記憶がないんですが、次の日の朝になったら携帯の目覚まし時計から「ガッコー!ガッコー!」っていう登校日専用の目覚まし音が鳴っていたので飛び起きました。 いろいろとやっちまいました。遅刻はしなかったけど。
井の頭公園に一緒に行った人が私を見て「青白いですね」って言ってたとき、もしかして私はホントにやばく青白かったのかもしれない。人の話はちゃんと聞くものだなー。あはは。でもまあ生きてるからよしとしましょう。
色々上の空だったかもしれません。すいませんでした。まあいつも上の空みたいなもんでしょう。私は。
それより更新できなくてすいませんでした。
早寝早起き規則正しい生活を心がけて毎日書くようにします。今日も書きます。夜更かしして。自己紹介ページに扇風機の写真(白黒であんまり画質の良くない写真)を置いておきました。扇風機の写真です。きっと撮った友人は私より卓上扇風機が好きだったんです。卓上扇風機の写真です。はっきり言っていらない写真だと分かっていますが友人が脅迫するので置いてみます。自己紹介ページはこのページの一番下の「※」から飛べるはずです。写真なんてすぐ消すと思います。工藤の背中あたりと背後の闇が一体化しています。怖い写真です。…でもないか(笑)
9月6日
つかれてたんです。貧血とか。
 今晩書きます。ごめんなさい。9日の朝に覗いてくださると嬉しいです。つーかこのホームページ、「夕帰り」でぐぐるとトップに出るようですよ(笑)なんか嬉しいです。見てくださっているみなさんありがとうございます。こんな風にさぼってすいません。しかししばらく体調不良だったので許して下さい。いいわけです。すいません。
9月5日 道沿い、電柱の夕陽

そういえば小学校の時、鶏を学校で飼っていた。
理科室裏の日当たりの悪いところに崩れそうなベニヤ板の小屋を建てて飼っていたのだが、ある年の秋ごろ変なおじさんが近所に引っ越してきて、それからは鶏が三日に一度くらい傷つけられた。やられどころが悪ければそれで死ぬこともあった。
でも鶏は三日もすれば人の顔や匂いを忘れる。いつも世話していた私のことも忘れるんだから、多分変なおじさんのことも忘れたのだろう。毎回良いようにやられていた。
 
その頃私はよく鶏を見て、「こいつら三日に一度ひどい目にあうから三日でものを忘れるんじゃないか」と思っていた。もちろんそんなことはない。けどそう思っていた。何度もひどい目にあうのなら、全部記憶に留めておいては気が狂うから忘れるんだと。そして死んだルームメイトのことも忘れるんだろう。それは精神を守るのにとても優れた方法のように思えた。
鶏小屋は惨状であった。羽が飛び散り血が翼に付着し、首の骨を折られて死んでいることもあった。そんなことがなくたって、粗末な小屋で野菜のくずやインコと同じような餌を食って生きてい鶏だ。産めば奪われ、しかもこいつら飛べないし。何の楽しみがあるんだろう、と思った。鶏は白くない。汚れている。とさかは真っ赤ではない。濁った黒っぽい赤色だった。見るたび私はにわとりって何なんだろうと思った。
へんなおじさんが数学科の教師に捕まった時には、すでに鶏は半数以下になっていた。許せねえだなんだと騒いでいた児童たちもすぐに忘れた。だいたいあいつらはいつもそうなのだ。死ねば忘れる。可愛がって、病気になればはらはらしたのに、いきものが死ねばボールで遊ぶのだ。子供なんてちょっと賢いにわとりみたいなもんだ。 
 
病んでいたおじさんは工具のようなもので網の裂け目から鶏を殴っていたらしかった。鶏はもっとすばしっこいはずなのに、逃げられなかったのは不思議だと私は思った。
私は、鶏が半数以下になろうがその倍居ようが、どっちでもよかった。死んだ鶏が焼かれたことだけ惜しく思った。焼くと炎から焦げた足が突き出す。その足だけが灰の中から最後まで燃え尽きずに突き出していた。残忍なことをしているような気がしてならなかった。
おじさんが捕まって焚火をすることもなくなると、私はほっとした。 
 
死んだ鶏のことはそんなに哀しまなかった。私のなかでは一羽の鶏も十五羽の鶏も「鶏小屋にいる鶏」だったので、ただそこに慣れ親しんだ何かが生きていればよかったのだ。鶏も、一緒に飼っていた兎も好きだったが、何匹いるかというのことには兎の場合も同じようにそんなにこだわらなかった。夕方になってみんな校門をくぐって帰ると、鍵をはずして放し飼いにした。夕日を背に受けて鶏が走り出すと、彼らは自由であるように見えた。せめて飛べれば本当に自由になれるのにと残念だった。鶏はちょっとしか飛べないのだ。
鶏と兎は互いに慣れてるので仲がよかった。
鶏は冬に池に落ちると簡単に凍傷みたいになって足が欠けてしまうので、足を滑らせて落ちた時にはすぐに拭いてやってストーブの前で乾かす必要がある。別に何とも思わずにやっていたが、川端康成の「禽獣」を読んだ時はぞっとした。ずっと前に読んで売ってしまったから細かい内容はよく覚えていないけど。飼っている鳥を治療しようとして次々に殺してしう男の人の話だったような。
ちなみに私はストーブで鳥を焼いて殺したことはない。
中学に上がるまでの二年間は鶏や兎ばかり見てすごした。暖かくていい。夜まで兎小屋にいることもあった。他にやることなんてたいしてなかった。
お金はあったので毎日学校帰りには石焼き芋を買った。それが晩御飯になることもあった。
あの頃のことなど思い出しながら窓際に座っているのは幸せだ。
色々悲しいこともあったが、あのころはじっと座って居られたから暖かかった。首筋まで暖かかった。

あいつ「今日やっぱいけない」
工藤「えー、なんでもう二分後だけど待ち合わせ。もう来てるけど。」
あいつ「あのねー石川君が私を映画に誘ってくれたから行くの。」
工藤「え、でもそれ普通断れし。」
あいつ「うんごめんね。でも私が石川君のこと好きなの知ってるよね」
工藤「だからどうしたっての」
あいつ「これは恋だから!」
工藤「いや堂々と言ってんじゃないよ。ブチッ」
もう一回かかってくる
あいつ「ねー、ごめんね怒らないでー」
工藤「…どなたですか」
あいつ「そんなこと言っちゃて怒ってないんでしょ。いつもそうなんだからー」
工藤「おまえなんかきらいだ」
あいつ「えー、ひどーい。私行ってくるね」
工藤「しらない」
あいつ「じゃ!」
工藤「ブチッ」
ていうありえない女の子(あいつ)がいました殺したいです。恋って何なんですか。え?盲目?…ふふふ、なるほどね。ひひひ…へへへへへ!

9月5日  
古本屋で牛乳飲みながら座り込んで少女漫画を読んでいたら友達に会った。恥ずかしい。「そういうの読むんだ、きゃはは!」と言われた。牛乳には突っ込まないのか。
友達は富豪なので富豪の服を着ていた。見慣れているが、しばらくこれほどあからさまな富豪は見かけなかったし、やっぱり普通じゃないので驚いた。
「工藤可愛いー。私、わりとギャップ萌えなの!」とか騒いでいた。あなたに萌えられてもなんもないんだよ!つーかもう「ギャップ萌え」という言葉を使うな。私はあの言葉に嫌な思い出があるんだ。「スーツ萌え」もやめろ。
もうだめだそろそろ金持ちを見るといらつくようになってきた。金持ちなら金持ちで、金を惜しまず使うならまだいいが、金持ちのくせに出し渋っているのを他人に見せるとか、誰にその金を使うかを人の目の前で選ぶとか、嫌味な使い方するとか、賢い。べつにいいけど。どうせ金を使うならさっぱり爽やかに使えばいいじゃないか。金持ちでも金の使い方に品性がないのは嫌だなあ。そんなことするなら金持ちだということを隠しておいたほうがずっとかっこいいのにな。
あ、今日会った友達は違いますよ。彼女は金を湯水のごとく使って生きています。金を使っても楽しくないとかすごいことを言う子です。
彼女のいいところは自分にしかお金を使わないところだろう。金が絡んでくる貸し借りを友達同士で作ると嫌なことも起こる。
友達同士で大きなプレゼントとかがやり取りされるようになるとお返しとかが大変だし。とかそういうことを考えてるのはあの学校で私だけなのかもしれない。

結局その友達と餃子食べて帰った。
家に帰ったら強烈におなかが痛かったのでそろそろ死ぬと思ってコンビニに行って遺影を印刷してきた。三枚くらいある。どうやら死なないので誰かにあげよう。うそです仕舞っとく。
 
牛乳飲むとたぶん頭良くなるよ。牛乳飲むとたぶん骨粗しょう症防げるよたぶん。
ブドウ糖食べると多分頭良く動くよ。たぶん。頼ってるわけではないが。
なんかそういうおまじない的なものもたまにはいいと思うんですよ。いらないけどね。
そろそろ宿題の一番だるいやつに手をつけなくてはいけなくなってきたのです。
思考の整理学(外山滋比古)読んだ。これ昔に読んだことある。『東大・京大で一番売れた本』とか帯に書いてある。去年のように試験会場で初めて本を開くというのは一応受験クラスの人間としては許されない感じだったので読んでおいた。つか去年の私は休み明けテストを甘く見過ぎている。ふざけたやつだ。
オープンキャンパス行ってないので、オープンキャンパスの報告書類を偽造しなければいけない。友達がいて良かったです。相変わらず私はふざけたやつです。
2学期はやる気を出さないと塾行かないんだから遅れてしまう。
それから2学期はクラス委員の席を譲らなくてはならん。暇になるな。
なんかいまいち自分がどこに向かっているのか分からない。そんなもんなのかね。
中学校一年生の時は医者になるとか言って随分数学の勉強もしたが、よく考えれば別に医者になりたいと言うわけではない。ただ父がなろうと思ったけど試験落ちてなれなかったとか言っていたから、「それじゃあやってやろうじゃねえの」て思っただけだ。そんなことに人生を費やしたらくだらん。数学はやっぱりできないし。
というわけで私は文系なので、母は弟を理系にして医者かなんかになってほしいらしいが、弟は授業を睡眠時間として利用しているのでまるであてにならない。これでも学校に行くだけましである。給食がまずいらしい。
 
明日はファミレスとかで色々する。家は暑くて話にならんので。
明日は母と弟が釣りに行くので自由だ。

べつに無気力だから書かないというわけではなく、ちかごろは書いているとどんどん加速して、終いには正常な視点で読むには理解不能なものになっているということが結構頻繁にあって、
とてもアップできないようなのがどんどん増えるのです。
今日もそんな感じです。昔のことを考えていると険しくなりすぎてうまくいかない。どうもすいません。何とかします。

9月4日
今日は無気力でした。
カラオケ行きたい。←こないだ行ったばかりだろ
課題図書読まなくてはいけない。思考の整理学という本。

色々「ああもう、ぐごご!」てなることが多くて眉間にしわが増えそうです。
嫉妬うぜえ。


9月3日 とぅるるっるる

弟は座り込んで私の真似をしようと試みる。
今回ばかりは無理だとか、思わないらしくて、私の真似をしてないと怖くて怖くて仕方ない。しかしね今回ばかりは無理だ一人では。
 
暑すぎて床に寝るようになってから夢をよく見る。茶色タオルケットにくるまって見る夢のなかはいつも楽園さあ。朝には煉瓦もアスファルトもない草の細い通りに駆け出して思い切り日を浴びて縄とびとかして、光合成ができるほどに緑になって、抱きしめる人はいないが抱きしめたら緑の体液の匂い。 陽炎なんてわけのわからないくらくらはないのだ。
 
目がさめれば医者が嫌いだ。注射が嫌いだ。まるで餓鬼だな私は。でも子宮けいがんの予防注射なんて信じないのだ。あれは筋肉注射なんだぞ。絶対痛いし。べくべく笑ってお母さんが行けと言うから「処女にしか効かないらしいよ」とか言っといた。
いろいろ大変だ。つまんなくなりたくない。つまらなくなってる暇などない。
注射されたくないしご飯は毎日食べたい。
 
冬が来るなら一人では寒い。誰も私のものにならない。結構格好よく生きてるのに。滑るんだよね。
目が悪くなっている。緑内障の恐怖か。私は緑内障になりやすいらしいのだ。眼底の神経の形と色がどうのこうの。目薬じゃなおらないらしい。
どこも故障してないが十年後には色々とがたがたしてるんだろう。そのときになにがあれば明るくなるのか。
朝まで起きていて整理がつかなくて封筒を何枚も無駄にした。問題はなにを書いて送るかではなくて誰に送るかってことなのだ。だれも、だーれも分かってくれなさそうで。
どうにかしなくてはいけない自分の駄目さに、言いたいこともなくなって、牛乳ばかり飲んで口の中が甘くなった。
 
昨日の夜駐輪場の近くのイチョウの木を抱きしめるようにして枝を調べてるおじさんがいた。おじいさんかな。怪しい。ちょっとぶら下がってないか確かめるために枝を調べに行くとしよう。 あのあたりはどうも気分が落ち込む溝の道だから、歩いても進めなくなる。声をかければよかっただろうか。

こんなふうに、とんでもないことですが、何にも言いたいことがない。
トンボを見たよ。朝っぱらから暑い。
足元に蝉が死んでいる。もうやめろ!
誰にも食べられず土にかえることもできない。つまんで眺めた。こいつは生まれ変わるような気がする。

9月2日 雨も降らない

蝉が鳴かないので眩しい夏は過ぎた。
空がやたら高くて、卵パンは相変わらず美味しいが朝日が熱い。
朝に食べるアイスクリームは相変わらず胃に来るが、友達は朝アイスを愛してるらしいので食べる。奢ってくれるので食べる。
ニュージーランドから帰ってきたあいつは少々いかれてる。だいたいヘッドフォン取ると不安になるとか言ってる。向こうで悪い病気にかかったから帰ってきたんだろ、とおちょくったら黙っていた。どうしよう。
そういえば悲しい。
そういえばおなかがすいた。
そういえば本を読まなくちゃ。
そういえばレポートが…
てなかんじに、最近はそういえば、ってことを消化するのでいっぱいだ。
どうしようもないので公園で寝てきた。
夜中になったのでふとももが根元から10センチを残して全部出る短いズボンでベランダのポールに上って下を見てぞくぞくしてしゃがんでインスタントみそ汁を飲む。実はふともも半分隠れるズボンだったんだけど切って縫ったのだ。 シャコシャコとかすめるような音を立てて自転車がふらりふらと白線の両側に揺らぎながら坂へ消えていく。
白い足が重力に絶えて軟骨にしがみついている。心細い筋肉にくっついている。今にも零れ落ちそうにぶら下がっている。意識すると、四階下の地面に足を抜かれそうだ。力を入れると、ふくらはぎの筋肉が四角く浮き出る。
この足が細くて白いうちだけ生きていればいいと思う。
老いて行くことを考えるとたまに嫌だ。
凝り固まっていくことを考えるとたちまち嫌だ。
本当は綺麗な女になんてなりたくはない。 そんな気持ちにもなる。
醜さに鈍感になっていくのなら嫌だ。美しさにだけこだわるようになるなら嫌だ。
私はこのまま大きくなっていくのなら足りな過ぎる。失う余地はない。もっと必死こいて生きていればこんなに焦ることもなかった。見飽きた人間と空の観察に時間を使いすぎた。
何も分からない。
玄関に飾られた陶器人形のように白く青く、かしこまっていることは得意だが、こそこそと生きていることや汚いことを隠して、つんとすまして向こうの森の中に立っている。さみしい悲しい遠い場所だと思いながら、死んでいくのはごめんだ。
朝焼け時は肌が冷えている。

9月1日 それは夢だった

焼肉行かないかとかケーキバイキング行かないかとか貴族的な誘いが来るんだけど、もう無理ですよ。行きたいけど。
汗が止まらない。
ゆで卵を剥き続け食べ続けて、メロンを切って食べて、体が重いので久しぶりに誰にも話しかけず、からっとした空を、どんより眺めて、邪魔じゃないですかとか言って訪ねてきた幼い友達を「邪魔邪魔」って追い払ってみていじめたりして、最終的に外に連れ出されてピーチティーを買い与えて、それでもあんまりしゃべらず、お互い言うこともなく、ガードレールに寄りかかって、赤と白のしましまポールを蹴っ飛ばしてプリンを食べた。

9月1日
悩みがない。
それどころか楽しさもない。
なんだか疲れ過ぎてそんな感じです。要はぼーっとしてるだけなんだ。
別に疲れることがあったってわけではないんですよ。
ただ眠れないんですよ。
別に眠れないほど嫌なこと言われたとかそういうんじゃなくって、
ただ部屋が暑すぎるんです。クーラー付いてないんで。卓上扇風機だけなので。…もう何日こういうことが続いてると思いますか、三日ですよ。私はこの三日で8時間くらいしか寝てませんよ。死にそうです。星ばっかり綺麗に見えますが、熱帯夜です。
今日宿題の清書をやっていたら汗で万年筆が滲みまくりました。また新しく書きなおさねばなりません。勉強はかどってるかとか聞かないでくださいよ。はかどるわけありませんが死ぬ気でやってますから。つかこれ死んじゃうのかもしれない。死んじゃう。熱中症かなんかで。ファミレス行けとか言わないでくださいよ。ファミレス高いもの。
というわけで寝不足の上に熱中症気味で頭痛がするので、かっこいいことは何も書けません。すいません。寝不足なら寝不足で変なものが書ける時もありますが、そういう次元の疲れではありません。朝からくそあちぃのです。東向きの窓からガンガン照ってくるのです。
今日はあまりにも太陽が残虐だったので起きて十分後にはもう自転車に乗っていました。風を受けていれば涼しいです。着替えた記憶がないのでたぶん着替えてません。
でもまあ、割と普通の服で寝るので、まずくはないです。まずいのは頭のほうです。寝癖爆発だったと思います。公園で水浴びたけど。

もともと結構自分のことについてはだらしないので、出かけたままの服装で寝る、とか、起きてそのまま外に出る、とかいうのは得意です。最近はわりときちんとしてますが。
昔なんか畑を手伝ったりしてたので、泥だらけで昼前に帰ってきてそのまま布団にダイブして、夜までぐーすか、とか、よくあることでした。家族にぎゃあぎゃあ言われましたが、家族や友人に言われても睡魔には勝てないものなので、毎日泥だらけのシーツを洗濯機に突っ込んでいました。しかしついにある朝、布団に白菜につく大きいいも虫が這ってるのを見て畑と布団間の往復はやめました。
 
本当はいつも眠りたいんですよ私は。眠るの大好きですから。
しかしこの暑さではねられないんですよ。
なぜ私が一番暑い部屋にいなくちゃならんのだ。ごうもんだー。
さっき今年初めて家に入ってきたあの有名な黒光りする大きな虫を新聞で叩いて下の階の人にプレゼントしておきました。戻ってこないことを祈ります。
明日銀行口座を作ります。当分空っぽ同然の状態で放置すると思いますが、ちょっと貯金というものをしようと思います。いろいろわけがあるのです。成功したら嬉しいです。上手くいったら何のための貯金か、書こうと思います。
 
すんませんぐだぐだで。
今の私はほんと、何の役にも立たないです。すんませんぐにょんぐにょんで。明日書きなおします。

 

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